サトウです。
昨日、
11月8日は『酉の日』。
ということで、練馬の大鳥神社に
『酉の市』にいきました。
練馬に引っ越して7年。
毎年の恒例行事です。
求めるものは唯一つ。
【達磨:小サイズ】
これが、効果テキメン。
背中に願い事を書いて、
片目を入れて・・・
ハイ、オシマイ!
まだ買っただけで、
お願い事も
片目も入れてないですが・・・
それはこれからのお楽しみです♪
達磨って、
ひとつずつ微妙に
顔が違うんですよね。
その、これぞっていうのを
選び取る瞬間・・・
なんともいえない
楽しさを感じます。
さて。
何故、達磨で願い事が叶うのでしょう?
そもそも、「願掛け」の類って、
なんで効果があるんでしょうね?
色んな種類の「願掛け」がありますが、
実際に神の力でご利益があるかどうか・・・
は、サトウには分かりません。
神を信じるかどうかは別にしても、、、
「私はこれをやります」と
宣言する行為には、
願いを叶える力が宿ります。
それは何故かを話す前に、
ちょっとお伝えしたいことがあります。
それは、
我々の脳は、あまりにも優秀なので、
『ざっくり捉える』ことが出来る
ということです。
ひらがなの「あ」という文字を、
サトウが書いても、
左手で書いても、
あなたが書いても、
小学生が書いても、
日本人であればほとんど誰でも、
「あ」と認識することが出来ます。
それは、曖昧さを勝手に補正するという
能力に優れているから。
ちなみに、
「百舌の早贄(もずのはやにえ)」
という言葉があります。
鳥の百舌(もず)はせっかく取った餌を、
「後で食べよう」と残しておく
習性があるのですが、
肝心の餌の場所を忘れてしまう、
という意味の言葉です。
でもこれ、本当は、
忘れてるわけではなく、
「完璧に覚えすぎている」のだそうです。
百舌は曖昧に捉えることが出来ず、
この葉や枝の微妙な違いがあると、
「違うもの」と認識してしまい・・・
餌の場所が、
わからなくなってしまうんだそう。
人間だったら、
ある人の顔を見たら、
笑顔でも、しかめっ面でも、
怒った顔でも・・・
認識できるんですよね。
これは、
曖昧に捉えられているからです。
ただ、イマイチなのは・・・
この曖昧さを許容できる能力ゆえに、、、
「なんとなく」で物事を
考えてしまい・・・
それが原因で、
不明確→不安→動けない
不明確→未経験→自信がない
など、余計なことを
考えてしまうこともあることです。
曖昧な言葉を「明確」にすることだけでも、
多くの「問題」は解消します。
そこに加えて、
「◯◯します」と宣言することで、
その達成のイメージが明確になれば・・・
自ずと、達成する方向へと
脳が働き始めます。
願掛けって、
神に願う他にも、
こんな意味があるんじゃないかなって
考えた今日このごろでした。
あなたは、どう感じましたか??
それでは、また、メールします。